第20話 最初の説法

釈尊の顔は晴れ晴れとしていて、何にも臆することなく堂々たるものに変わっていました。

当時の修行の主流は苦行でした。釈尊も城を出て苦行にいそしみました。その時、五人の仲間とともに修行をしていたのですが、釈尊は苦行が無益であることに気づき、五人から離れていきます。

やがて快楽主義も苦行主義も否定する「中道」の立場に至った釈尊は悟りを得、梵天の勧請によって伝道を志し、ブッダガヤーを後にし、サールナートという地に向かいます。ここにはかつて修行を共にしたあの五人が居たのです。

五人は釈尊が近づいてくるのを見て、彼への対応を相談します。彼らにしてみれば、釈尊は苦行を放棄して裏切った人物としか見えませんでした。ですから釈尊がやってきても軽蔑の目で、彼を「修行を捨てた者」として無視をすることにしました。

しかし釈尊が近づいてくると、五人は自然と彼を迎え入れるようになります。それはあまりにも釈尊の姿が凛としており、気品漂う尊い姿だったからです。
五人は釈尊の衣と鉢を受け取り、また釈尊が座るための席も設け、さらに足を洗う用意までしたといいます。
もはや彼らが知っているシッダールタの顔と、いま目の前にいるブッダとしてのシッダールタの顔の表情が、同一人物とは思えないほど違っていたのです。

釈尊は五人に対して初めての説法を行ないました。釈尊にとって初めて教えを説く瞬間です。これを初転法輪(初めて教えの輪を転がすこと)といいます。

五人は釈尊の説法を聞き、やがて執着をなくし煩悩から解放されていきました。こうして、かつて同朋であった釈尊に弟子入りをし、少人数とはいえ釈尊を中心とするグループが形成されました。
五人の修行僧らを最初に教化して以来、彼らもまた釈尊の教えを人々に伝えるために、それぞれが群がることなく伝道に力を入れ、後には巨大な教団へと発展していくことになるのです。

釈尊は伝道の旅で出会う者たちと対話し、法を説き、心を動かせ、出家を求める者を受け入れていきます。こうして次第に釈尊の名声は広まり、尊者としての存在が巷で認識されるようにもなっていきました。


第21話 釈尊の導き

あるところにキサー・ゴータミーという女性がいました。彼女は商人と結婚し子どもにも恵まれましたが、その子は一歳の頃、病気になり亡くなってしまいます。我が子に先立たれた親の悲しみは計り知れなく大きいものです。
彼女の幸せは一転して不幸のどん底に落ちてしまいます。

ゴータミーは、何とかしてこの子を生き返らせたいと思い、魔法の薬を求めて呪術師や聖者たちを訪ねて救いを求めます。しかし死者を生き返らせるような薬があるはずがございません。彼女は我が子の死という現実を受け入れられないのです。

そんな時、釈尊の噂を聞いたゴータミーは、藁をもすがる思いで釈尊のもとへやってきました。

「どうかこの子の命を蘇らせてください。でないと私も生きていく自信がありません」

必死に訴えるゴータミーに、釈尊は静かに答えます。

「では、芥子(けし)の実を一粒、私のところへ持ってきなさい。ただしその実は、これまで一度も死人を出したことのない家から貰ったものでなければならない」

芥子の実は、インドの家庭では一般的なもので、食用油などを作る材料でした。

果たして釈尊は、この芥子の実を使って死者を蘇らすことができるのでしょうか。

ゴータミーは、早速芥子の実を貰いに家という家を訪ねていきます。ところが芥子の実は手に入れることはできても、死者を出したことのない家はなく、結局彼女は手ぶらのまま釈尊のところへ帰るしかありませんでした。

「芥子の実は持ってきましたか?」

「いいえ、芥子の実はどこからも貰うことはできませんでした。よく考えてみましたら、私は悲しみのあまり、子どもを亡くし不幸な思いをしているのは自分だけだと思い込んでいました。しかし誰もが、誰かと死に別れてゆく悲しみをもっていました」

「世は無常である。これは神々でさえ何ともしようのない法則である。命あるものは遅かれ早かれ、必ず死んでゆくもので、その命を蘇らすことはできないのだよ。そのことを心において生きなさい」

このように釈尊は、ゴータミーを真実に気づかせ、導いたのでした。