15 アングリマーラ

指斬り魔と呼ばれた男 アングリマーラ

「青年アヒンサー」
いま、サーヴァッティー(インド・舎衛国)の町では、人を殺し、その指を切り取って首飾りにするという殺人鬼アングリマーラの噂が広まり、夜になれば誰も家から外に出ようとはしませんでした。
誰もが恐れるアングリマーラが、殺人鬼と呼ばれるようになってしまったのは、ある経緯がありました。彼の実の名はアヒンサーといい、バラモンの子として生まれました。そして青年となった彼は、500人の弟子を持つというバラモンの弟子となり、その中でも特に秀れた弟子となり、師からの寵愛を受けていました。ある日のことです、その日は師が王に呼ばれ城に行くことになり、アヒンサーは留守を任されました。すると、前からアヒンサーに好感を持っていた師の妻が彼を誘惑しようとしたのです。

「私は人の道を外すようなことはできません」と、アヒンサーは断りました。すると、腹が立った師の妻は、自分の思うとおりにならなかったことの悔しさからか、彼女は自分の衣服を破り、あたかもアヒンサーに襲われたかのように装ったのです。そして、城から帰ってきた師は、妻の姿を見て驚き、怒り狂うのですが、とんでもない仕返しを考え、アヒンサーに言いつけるのです

「アヒンサーよ、お前は私の数多い弟子たちの中でも最も優れている者だ。よって、ここに覚りへと至る最後の試験をお前に授けようとおもう」

「はい。どのような試験でございましょうか」

「お前はこれから国中の人百人の命を奪い、その死体から指を切り取りなさい、百の指を集めれば、お前の修行は完成したとしょう」
アヒンサーはしばらく考えましたが、他ならぬ師からの言いつけであり、素直にしたがったのです。

「殺生罪」

アヒンサーがアングリマーラ(指の首飾り)と呼ばれるようになったのは、そのような経緯があったのですが、人々から恐れられ、お尋ね者の殺人鬼と成り果てた彼の集めた指は99本となり、いよいよあと一つとなったのです。     そんなある日、町の外れの森へと一人で歩いてくるお坊さんの姿をアングリマーラは見ました。
「今では俺を恐れて誰も通らないこの道を一人で歩いてくるなんて、何と勇気のある奴だ。それとも何も知らないのかな」そう言った彼が見つめる坊さんとは、祇園精舎から出てこられたブッダ、釈尊だったのです。ブッダが森に入った時、アングリマーラは呼びかけました。

「おい、坊さん、止まりな。お前でちょうど、この指が百になるんだ。俺に会ったのが運の尽きだと思え」
しかし、その声が聞こえていないかのように、ブッダは静かに先へ先へと歩いていくのです。
「止まれっていうのが聞こえねえのか」アングリマーラは走って、先を歩くブッダを捕まえようとします。
「止まるんだ」  しかし、いくら懸命に走ってもブッダには追いつかないのです。
「アングリマーラよ、私はすでに止まっている」
「冗談言うな。止れって言ってるだろ」
「私は止まっているんだよ。むやみに生き物の命を奪う殺生という行いは止まっている。だから、アングリマーラよ、お前も止まりなさい」
ブッダのその声は、アングリマーラの心の底に響き、そしてその時、ようやく彼は正気に戻ったのです。そして、過去の罪を悔い、ブッダの弟子となったのです。

指斬り魔アングリマーラがブッダのもとにいるという噂は直ぐに町中に広まり、やがて城の王の耳にも入りました。
パセーナディー王は、アングリマーラを捕えに一個大隊を率いて向かったのです。軍隊が祇園精舎に着いた時、ブッダは何事かと驚きました。

「王よ、これからどこの国へ攻めに行かれるのですか」

「師よ、戦ではない。あの指斬り魔アングリマーラがここにいると聞き、捕えにきたのだ」

「アングリマーラなら、私の弟子となり、今は奥の部屋におりますが」

「師よ、それは信じられない」

「では、その目で確かめるがよいでしょう」

王は奥の部屋に行き、そこに静かに座っている頭を剃った姿のアングリマーラを見て驚きます。

王は合掌礼拝し、

「新たに仏弟子となられたあなたを捕えることは出来ません。そしてあなたには、国王として何か布施をさせて頂きたいのですが、何がよいでしょうか」

「王よ、有難い言葉にお礼申し上げます。しかし、私にはすでに一枚の衣と鉢があります、不足なものはございませんから、どうかお気遣いなさいませぬよう」

「そうですか。ならば今日は遠慮させて頂きますが、また日をあらためてあなたに供養したい」

そうして合掌礼拝し、王は軍隊とともに城へ帰ったのです。

「忍耐」
アングリマーラがブッダの弟子となり10日が過ぎた頃でしょうか。托鉢に出掛けた日のことです。
彼が歩いていると、どこからか投げられた石つぶてが身体に当たりました。 彼が後ろを振り返ると、その背中に別の石が当たりました。そして投げられる石の数がだんだん増えてきました。 うずくまったところを、棒で叩いてくる者が現れました。
「坊さんの格好をして騙そうとしても駄目だぞ、アングリマーラめ、父の仇だ」
棒を持った人が何人も現れ、アングリマーラはめったうちにあいました。

そうしたことは一日だけで終わらず、毎日彼は額から血を流し、衣は破け、身体はあざだらけになり、帰ってくるのです。
その姿を見てブッダは言いました。
「アングリマーラよ耐えなさい。お前は地獄へ行き何万年の長い間受けるはずの罰を今受けているのだ。これに耐えてこそ、お前は本当に生まれ変われるのだ」
傷だらけになって托鉢から帰ってくる日が続きました。しかし、やがて石つぶては投げられなくなり、アングリマーラの過去を知った人々は、彼が罪を悔いて懺悔し、戒を守る清らかな姿に手を合わせるようになるのです。

さきには放逸であったけれども  のちに放逸ならざる人は
雲をはなれた月のように  この世を照らすであろう
人もしよく善業をもって  そのなせる悪業をおおわば
その人は、この世を照らすこと  雲をはなれし月のごとくであろう

テーラ・ガーター(長老偈経)871、872より