16 キサー・ゴータミー尼

~泥中より開く美しき蓮華のように~

キサー・ゴータミー、彼女は舎衛城の貧しい家に生まれました。相貌は醜く、身体も痩せ衰えていました(キサーとは痩せたという意味)。そんな彼女も、結婚し、一人の子供が産まれました。幼い頃から貧しさと苦労続きだった彼女にも、ようやく幸せが訪れようとした時でした、不幸にも、突然の夫の死に出会うのです。ある日、路上に倒れている夫を見つけました。この時、キサーのお腹には二人目の子供が宿っていたのです。
あまりの突然の不幸に、哀しみに沈んでいた彼女にさらに追い討ちを掛けるように、二人の子供は亡くなり、両親も世を去ってしまうのです。自分ひとりだけがこの世に残り、こんな辛い苦しみがあるだろうか、彼女は死んでしまったわが子を抱いて、放心したように何か救いを求めて、町中をさまよい歩いていました。

そんなとき、町を歩いていたブッダに彼女は呼び止められるのです。
「どうしたのです。あなたは何をもとめているのですか」
ブッダの声に我に返ったキサー・ゴータミーは、

「ああ、ご出家さま、どうかお願いでございます。この子を、どうかこの子を生き返らす薬を私にお与え下さいまし。私はこの子にまで死なれては、これから生きていくことは出来ません。どうかお願いします」
と、涙ながらにブッダに訴えたのです。ブッダは、必死に願う彼女の目と、腕に抱かれた赤子を見つめ、言いました。
「では、よいかな、よく聞きなさい。この町中の家の中から、今だかつて死人を出したことのない家を見つけなさい、そして、その家から芥子の種をもらってきなさい。そうすれば、私はあなたに、その子供を生き返らせる薬をつくってあげよう」
その言葉を聞いた彼女は、一縷の望みを得て、ブッダにお礼を言い残し、気力をふりしぼって、走り出したのです。

ところが、
「いやあ、うちは去年父を亡くしたばかりでねえ」
「私のところは三ヶ月前に見送ったばかりさ」
「うちには芥子の種はあるんだが、これまでに三人亡くしているよ」
家の入り口に立って、彼女は悲嘆にくれるばかりでした。町中の家をくまなく捜し求めたのですが、芥子の種はあっても、死人を出したことのない家庭はありませんでした。身体はくたくたに疲れ果て、彼女はその現実にようやく気付いたのです。
皆、必ず家族の死を経験しているのだと。自分だけが悲しいのではなく、皆悲しい別れを乗越えて生きているのだと。ブッダは、そのことを私に伝えたかったのだと。キサー・ゴータミーは力を振り絞って、ブッダの待つ、祇園精舎まで歩いていきました。

身体は疲れ切っていたものの、彼女は、悲しみを乗越え、新しい道へ向かう心が生まれはじめたのです。それは、わが子供の命を蘇らせる薬を得ることではなく、この世を生きていく中で避ける事の出来ない苦というものを乗越えていくための薬を得るため、ブッダの弟子となり、生きていくことだったのです。
幼い頃より苦難の道を歩み、人として、女性として生きることの苦しさを、体験してきた彼女は、いまようやくブッダの弟子となり、真に心から喜べる限りない幸せを手に入れようとしているのです。
尼僧となってからのキサー・ゴータミーは修行に励み、苦を乗越えていく道をまっとうしていくのです。蓮の花が、泥の中に植わっていても、その咲いた花は少しも泥に染まらぬように。