2 モッガラーナ

神通第一のもくれん尊者

モッガラーナ尊者のエピソードとして有名なのは、その神通力をつかって、餓鬼道におちて苦しんでいた亡きお母様を救ってあげたことです。このことは、「仏教行事」のページにもくわしく書かれてありますので、ここでは略しますが、私たちの生活の行事として浸透している「御盆」「盆おどり」のルーツがモッガラーナのお話からきていることは興味深いことです。
餓鬼道から、お浄土へ行かれたお母様の姿をその目で見たとき、さぞやモッガラーナは歓喜して踊られたのでしょうね。

さて、そのモッガラーナ尊者が秀でていたという、じんづうりきとは、どういう力なのでしょうか?簡単に言えば、どんな世界でも見通せる力、人の心や、地獄・極楽、私たちの見えない世界をモッガラーナは見通せることができたのです。仏教では、この力を六つの項目にわけて説いています。

①天眼通・てんげんつう
どんなものでも見ることができること
②天耳通・てんにつう
どんな音や声でも聞き分けられること
③他心通
たしんつう
人が心の中で考えたことがわかること
④宿命通
しゅくみょうつう
人の前世でのようすがわかること
⑤神足通 じんそくつう
思い通りにどこへでもいくことができること
⑥漏尽通
ろじんつう
こころに微塵もよごれがないことを知ること

モッガラーナ尊者は、これらの力がどのお弟子さまよりも秀でていたのです。

サーリプッタと並び、おしゃかさまの左腕と言われたモッガラーナ尊者でしたが、その最後はとてもかわいそうでした。日頃からモッガラーナやおしゃかさまの教団・仲間を面白くおもっていなかった異教徒の人たちから、全身をめった打ちにされるのです。全身血だるまになったもくれん尊者のもとに駆けつけてきたのは大親友のサーリプッタでした。

「モッガラーナ、いったいどうしたんだ。君なら、神通力で、あいつらが君を襲ってくることくらいは予知できただろうに」

「サーリプッタ、これも私のこれまで行ってきたことの報いなのだよ。報いからは逃げることができないのだ。サーリプッタよ、最後にブッダに別れの言葉を伝えてほしい」

大きな樹が枯れるときは、まず大きな枝から枯れていくといいます。この二人の長老が亡くなり、やがておしゃかさまも涅槃に近づかれるのです。歴史にもしもはないのですが、おしゃかさまなきあと、もしもこの二人が生きていたら、どのようにサンガ(僧の集団)が発展していったことでしょうか。興味がつきません。