7 スプーティ

解空(げくう)第一のスプーティ(須菩提・しゅぼだい)尊者

スプーティーは バラモンの家に 生まれました。アナータピンディカ長者の弟の子です。 叔父が ブッダに 祇園精舎を 寄贈したとき 叔父に付いていき ブッダの説法を聞き、尊い話に 心うたれたスプーティーは 出家を決意して 髪の毛を剃りました。 スプーテイーは いつも笑顔絶やさずに 心和やかで 人と争ったことは ありませんでした。 ブッダから「スプーティーは無争第一の弟子である」と褒められました。 無争とは 争いの無いこと。しかし、いつも 笑顔を 絶やさず 人を褒め 自分は目立たず という人にはなれないものです。 争いをなくす スプーティーの心は 一つのものに こだわらない 【空(くう)】の教えを もっとも理解した 弟子として 皆から尊敬を 集めたのです。

スプーティーには、こんな話が残されています。 マガダ国の王様、ヴィンヴァサーラ王は、かねてから 尊敬していた スプーティー尊者のために、小舎を寄進されました。ところが、大工達が あまりに早く 仕事を急ぎ過ぎたために、肝心の屋根を 葺くのを 忘れてしまいました。

雨が降っては 困るため、さっそくスプーティーは、天に願いを捧げました。スプーティーの声を聞いた 天の神々は、ずっと雨を降らしませんでした。ところが、雨が降らないために 人々は困り果て、その理由を知り、王様にお願いして、スプーティーの小舎に 屋根を葺いてもらったのです。 わが小舎は 葺かれぬ 風さわやかにして 心地よし 天よ 望むなれば 雨を降らせよ わが心、常に三昧に住し ために解脱せり 天よ 望むままに 雨を降らせよ 【長老偈経より】

さて、私達の暮らしの中で 争いをなくすことは 中々難しいことですね。 世界では、私たちの教えが 絶対に正しい、お前たちの教えは 間違っている という一方的な理由で、宗教戦争の 絶えない地域も あります。また、私たちの国でも、あの人たちの考えは 間違っていて、自分達が正しいと、一つの考えや 価値感にしばられて 争うことは、大人たちの社会でも たくさんあります。 どうして 争いが なくならないのでしょうか。それは、一つの考えに こだわりつづけるからです。仏教には【空】という 大切な教えがあって、その教えを 簡単に言うと【こだわらない】 ということです。この世のすべてのものは 時間の流れとともに 動き続けています。一つのものごとに こだわること、一つのものごとが 永遠に変わらぬもの と思う考えに しばられて、違う考えや、ものごとを 受け入れられずに、固くなった心は、争いや 不幸せの 原因になります。 スプーティー尊者は、いつも笑顔をたやさずに、人と争うこともなく、教団の中での 癒しとなる 存在であったようです。争いのない心は、一つのものごとにしばられない、自由な境地、【空】を一番に知る心から 生まれたのです。 私達も 家庭や職場、学校、友人達の中で、スプーティー尊者のような 和みの存在に なりたいものですね。