第14話 華陽隠居 

どれぐらいの時間が経ったのでしょう。 気がつくと彼は大きな河のほとりにそびえ立つ高山々の間にある細い暗い道を歩いておりました。

私はこれまでに何度となく、生まれ、そして死ぬことを繰り返してきた。
しかし、もう二度と死ぬことのないように 不老不死の身体が得られるように 彼は、その思いから懸命に不老不死の秘術を知る仙人を探し求めていたのでした。
仏教を学び続け、この唐の大地でも優秀な僧になり  人々から師と仰がれた彼が 何故、仙人を探し求めるようになったのか?
それは、お経の内容を人々に説明している時でした。
俄に胸がつまり、息をすることもままならず苦しい状態が突然に襲ってきたのです。 彼はその時、初めて心の底から「死にたくない」と感じたのでした。 今まで頭の中で考えてきた「死の苦しみ」ではなく 理屈抜きの恐怖です。

そして、山を歩き続けた彼は とうとう伝説の仙人、華陽隠居に出会ったのでした。
華陽隠居から不老不死の秘伝を学び、『仙経』という書物を渡された時 彼は華陽隠居からこう聞かれたのです。

「お前が体得した仙術は誰しも体得出来る物ではない。 世の中は無常、皆、死んでいく。 その中で、お前一人が生きて行くことに何の意味があるのか 考えてみたことがあるか?」
しばらく躊躇した彼は、こう答えました。
「私が気づいた仏教の教えを永遠に人へと伝えることが出来ます。」
「ほほ~、 ま、それもよかろう。 しかしなあ、曇鸞よ。もし、お前が不老不死は必要ないと感じたなら直ちにこの『仙経』は燃やしてしまうのじゃぞ、よいな。」
彼は、華陽隠居のその言葉の意味がしっかりとは把握出来ませんでした。 師が懸命に教えてくれて、自分が懸命に学んだ秘術を書いた書物を燃やすなんて。
そこで彼は訊ねました。
「何故、燃やすのですか?『仙経』は不要なものなのですか?」
その時、華陽隠居はこのようにお答えになりました。
「その答えは、お前が説こうとしている仏教の中にある。 お前は、そのことに気付かなかったから ここへ来ているのだ。」
その言葉を聞いた時、曇鸞は目の前が暗くなり 意識が遠のいた気がしたのです。
そして気がつくと・・・・・

気がつくと、彼はインドの大地に立ち尽くし夕陽を見つめていました。
今まで自分は、目の前にある物そのものをしっかりと見つめ そして、自分の心の中にある思いそのものをしっかりと見つめ 『人間とは何か?世界とは何か?心とは何か?』を追い求めてきた。
しかし、兄は目の前にある世界、ここにいる自分、それらも全ては心が捉えているだけのものでこの世界は言葉や表現を超えた「空」の世界なのだという。
兄の教えに従ってトゥシタ天という世界におわします未来の仏陀である マイトレーヤ菩薩にもお会いして教えを請うた。 しかし、それもまた「空」なのか?
彼は悩んだ。 仏すらも「空」なのか?
兄は言う。

「世親よ。仏も空なのかと考えるより、空そのものが仏だと考えたらどうか?」
「兄上、兄上はスカーヴァティビューハという経を読まれたことがありますか? そこには、この世の如何なる者をも救おうと途方もない時間、修行をなされた仏のことが描かれています。 そしてスカーヴァティという所の素晴らしい世界が説かれています。 あの経を読んだ物は皆、この乱れきった世に残された最後の救いだと 最後の希望を持つに違いありません。 それすらも空として実在しないものにしてしまうのですか?」
「世親、空は無にする物ではない。 伝えたいのは、この世の中はすべて、一人のものによって成り立っているのではなく 何かと何か、お互いが寄り添うことで初めて成り立つ 縁によって成り立っておるのだということを説いているだけなのだ。」

彼は、その言葉を聞いた時、ある確信を得たのです。
真実は形にすることの出来ないものである。 しかし、仏教を求める者、苦しみから逃れたいと思う者達には 形を以て示さなければ伝わらない。
形にならぬ空、目に見えぬ縁をわざわざ形に示すことで形にしなければ分からぬもの達に 仏と救いを求める自分の縁を理解してもらうために スカーヴァティビューハは説かれたのだ。
救いを求める者が、自分の力では何も出来ぬと気付いて 仏のみを信じていくことこそ空を理解することなのだと。
兄、無着からの言葉でスカーヴァティビューハの言葉を信じるだけで 全ての者が救われるのだと感じた世親は 目の前が光り輝いたような気がしました。
やがて気がつくと・・・・・

気がつくと彼は華陽隠居の元を離れ、山のふもとの村に降りてきていました。 目の前を流れる河を見つめながら、自分が今まで気付かずにきた仏教の大切なものとは一体なんだったのか?悩み続けていました。
私は、仏教を学んできた。 そして、結局の所、仏教とは

この世の中に永遠のものはなく、全ては無常である。
この世の全てのものは私の思うままでない。
迷いを離れた悟りの境地は静かで安らかなものである。

 この三つのことを心の底から理解し 悪を行わず、善をなし、自らの心を清めていくことで悟りの境地を目指す。
これに尽きるのだ。
しかし、今のこの私には「悪をなさず、善をなし、心を清めていく」と理屈では分かっていても 到底無理だということに気付いてしまった。
心の底のどこかに、自分の願いとは背を向けた迷いの心が住んでいるのだ。
情けない!俺は救われぬのか?
ならば、なおさら不老不死の『仙経』は燃やすことなど出来ぬ。
彼は『仙経』を大切に箱に入れ、胸元にしまったのです。
それから、何年かの月日が流れました。
曇鸞は『仙経』の内容を毎日のように読み返し、いつの間にか仏教の修行を疎かにするようになっていました。
ある日、旅を続ける曇鸞はインドの方から来たという僧侶に出会いました。 その僧の名はボーディルチ。
無着・世親兄弟が学んだ学問に精通した立派な僧侶です。 ボーディルチは、曇鸞を見るなり
「何を大切そうに持っているのですか?」
と訊ねました。 彼は、不老不死の秘伝を書いたお経だと伝えると
「それは、誰でも不老不死になれますか?」 と聞いてきました。
「ばかな!誰でもなれるなんてとんでもない! 特別に修行しなければ無理だし 修行しても皆が皆という訳にはいかぬ!」 と答えました。
それを聞いたボーディルチは一冊の経典を取り出し 彼に手渡しました。

「そのお経を読みなさい。どんな悪人でも救われるお経です。」
その言葉に驚いた彼は必死になってその経を読みました。
やがて、曇鸞の目には涙が溢れて止まりませんでした。
「ボーディルチ様、この経の名前は?」
「スカーヴァティビューハ、無量寿経といいます。」
「有り難う御座います。私はこの経に出会うために今日まで生きてきたのです。もう不老不死は意味がなくなりました。」

そういうと、曇鸞は『仙経』を、その場で燃やしました。
燃える炎の中に、彼の今までの迷いも燃やし尽くされたように思われました。
そして再び長い年月が過ぎ・・・・・