第17話 善導

今、彼はこの上ない喜びを味わっていました。
父を殺された怨みと悲しみを乗り越え、全ての人が救われる道を見つけるという決意を抱き、ひたすらに修行した日々。
しかし磨かれ、心が綺麗になっていくほど 目立つ心の汚れ。

あたかも透き通ったガラスにひっつく細かい汚れのように、澄めば澄むほど汚れた部分がよく見えるのです。
どんなにきれいにしようとしても、ホコリが取り切れぬ自分の心に 彼の悲しみは深まりました。

傍や、今打ち首に遭い死なんとする今和の際の後悔の涙には 穢れ汚れた泥塊の中に 微かながら煌めくダイヤの輝きのように
澄んだきれいな心が垣間見られることにも気付きました。

透明を誇るガラス、極悪人が見せる一粒の真実、結局は同じこと、いや汚れたことに気付こうとしていない ガラスの心の方が、泥の中で微かにダイヤの輝きより劣るのではないか?

ああ、もうこんな私に 救われる道などないのか?

悩み苦しみの中で多く探し訪ねてとうとう出会ったのが善導様が説かれた観無量寿経の御釈でした。
今まさに地獄に落ちんとする極悪人が今和の際に息も絶え絶えに称える十遍のナムアミダブツで救われる様が書かれているした観無量寿経に、悪人善人に限らずただ専らに阿弥陀如来の救いを求めて念仏することこそ救われる道である。
何故なら仏様が名を呼んでくれと心の底から願われているからである。 と、善導様が悪人の涙にも価値があることをお示し下さっていたのです。

ああ、善導様の仰せの通りだ!

これこそが如何なるものも救われる教えだ!
心の底からの喜びに彼は天を仰ぎ、大地にひれ伏し喜んだのでした。

しかし次の瞬間、
この教えは誰が伝えるのだろう。 善導様のお心に気付かされたのは私である。
しかし私は救われる身ではないか! 私がこれを人伝えて良いのだろうか?
せめて善導様の今生に在します内に お逢い出来たなら、、、 心の底からそう感じた時でした。

目の前に美しい風景が広がりました。川のせせらぎ、鳥の声。
高い山から紫の雲が沸き起こり 一所に集まったかと思うとまた散り散りに分かれ

やがて高い山の中天に人のお姿。

「どなたでございますか?」 
思わず問うと
「善導」 
とお答えになる。

「善導様!」

「そなた、余に逢えぬ故に
念仏の法を説けぬと考えてはいかんぞ。
しかしながら、、、

良いか、仏、菩薩、僧などと言うて 教えを伝えるものは身体が滅すると
雖も法を伝えていかねばならぬ。

余の身は遥か昔に唐土に於いて絶えた。
しかし伝えんとする法は永遠不変じゃ。
故に、そなたとわしはこうしてちゃんと出会うておるではないか。

世間には夢とも伝えよう。しかしのぉ、真実は夢か現かではなく真実は真実なのじゃ。

そなたはわしの心をちゃんと理解しておる。
依って汝はこれより余が伝えた偏に救いを求めて申す念仏を伝えて
末法万年の後の世までも広めるが良い。

ではな、、、」

「あ、待って下さいませ!もっと色々とお教えを!」

「それより他に必要なことがあろうか」

そう説き残して、善導様は光の中へ消えていかれたのでした。